Q.権利がどちらにあっても同じ効率の結果になるなら、権利を誰に与えるかは決めなくてよいのですか。
A.いいえ、権利を決めること自体はとても大切です。コースの定理が「同じ」と言うのは、あくまで「土地がどう使われるか(資源の使われ方)の効率」の部分です。誰がお金を受け取り誰が払うか、つまり「取り分」は権利の置き場所で大きく変わります。また、話し合いに手間や費用がかかる現実では、最初に権利を誰に与えるかで結果そのものも変わってしまいます。ですから権利をはっきりさせることは、効率のためにも公平のためにも欠かせません。
まず、どこでつまずくのか
ご近所どうしのもめごとを思い浮かべてください。片方が困っていて、もう片方が原因になっている。こういう場面では、多くの人が「だから国や役所がルールで止めるべきだ」と考えます。
ところが経済学には、少し意外な話があります。当人どうしが自由に話し合えるなら、役所が細かく口を出さなくても、いちばん無駄の少ない結果に自然と落ち着くことがある、という考え方です。
ここで初学者がつまずく点は、大きく三つあります。
- 一つ目は、「効率がよい」とはどういう意味かがはっきりしないことです。日常語の「効率」とは少しずれます。
- 二つ目は、「権利が誰にあっても結果は同じ」という言い方が、直感に反して聞こえることです。
- 三つ目は、この話が成り立つための前提条件が、意外と厳しいのに見落とされがちなことです。
この記事では、まず身近な例で感覚をつかみ、それから言葉を一つずつ当てはめていきます。用語は、イメージができてから登場させます。
身近な例で考える:薪ストーブの煙と洗濯物
アパートの一階に、パン屋さんがあるとします。二階には、ふつうの住まいがあります。パン屋さんは毎朝、古い薪ストーブ(wood stove、まきを燃やす暖房器具)でパンを焼きます。おいしいパンが焼けますが、煙とにおいが二階に流れます。
二階の住人は、洗濯物ににおいがつくのが困っています。窓も開けにくい。一方でパン屋さんは、その薪ストーブでこそ売り物の味が出る、と考えています。
ここで大事なのは、二人にとっての「金額に直したときの大きさ」です。数字を置いてみます。
- パン屋さんにとって、薪ストーブを使い続けられることの価値は、月に五万円ぶんだとします。使えなくなると、それだけ売上や満足が減るという意味です。
- 二階の住人にとって、煙のにおいで受ける迷惑は、月に二万円ぶんだとします。それだけ払ってでも消してほしい、という大きさです。
さて、この煙は「あったほうがよい」のでしょうか、「なくすべき」なのでしょうか。ここが考えどころです。
「効率がよい」とは、合計でいちばん得をしている状態
先ほどの数字をならべてみます。煙を出し続けると、パン屋さんは五万円ぶん得をし、住人は二万円ぶん損をします。差し引きすると、二人あわせて三万円ぶんのプラスです。
逆に煙を止めると、パン屋さんは五万円ぶんを失い、住人は二万円ぶんの迷惑から解放されます。二人あわせると、三万円ぶんのマイナスになります。
つまりこの場合は、煙を出し続けたほうが、二人あわせた得は大きいのです。経済学で「効率がよい」と言うのは、だいたいこの意味です。誰か一人ではなく、関係する人ぜんぶを足し合わせて、いちばん得が大きい状態を指します。
ここで注意です。「効率がよい」は「住人が我慢して当然」という意味ではありません。あくまで合計の大きさの話です。住人の受ける迷惑をどう埋め合わせるかは、このあとの「話し合い」で決まります。
もし数字が逆で、住人の迷惑が月八万円ぶんなら、結論はひっくり返ります。煙を止めたほうが合計で得になります。効率のよい答えは、数字しだいで変わるのです。
話し合いが結果をそろえる:権利を入れ替えてみる
では、権利を誰に与えるかで、結末はどう変わるでしょうか。二つの世界を比べます。数字は先ほどのまま、パン屋さんの価値は五万円、住人の迷惑は二万円とします。
世界その一:パン屋さんに「煙を出してよい権利」がある場合。住人は、煙を止めてほしいと思っています。でも止めさせるには、パン屋さんが失う五万円ぶんを埋め合わせる必要があります。住人にとって迷惑は二万円ぶんですから、五万円を払ってまで止めさせるのは割に合いません。よって煙は続きます。
世界その二:住人に「きれいな空気を求める権利」がある場合。今度はパン屋さんが、煙を出させてほしいとお願いする側です。パン屋さんにとって煙の価値は五万円ぶん。住人の迷惑は二万円ぶんです。そこでパン屋さんは、たとえば三万円を住人に払います。住人は二万円ぶんの迷惑を三万円で買い取ってもらえるので、受け入れます。よって煙は続きます。
気づいたでしょうか。どちらの世界でも、最後は「煙が続く」で同じです。権利の置き場所が変わっても、土地や設備の使われ方は変わりませんでした。変わったのは、お金が誰から誰へ動くか、という取り分の部分だけです。
経済学ではこう使う:コースの定理
いま見たことを、一般の形にまとめたのがコースの定理(Coase theorem)です。経済学者ロナルド・コース(Ronald Coase)の考えにちなんで、こう呼ばれます。中身をやさしく言い直すと、次のようになります。
- 関係する当事者が、費用をかけずに自由に話し合えるなら、
- そして誰が何をしてよいかの権利がはっきり決まっているなら、
- その権利がどちらの側にあっても、話し合いの結果は同じ「効率のよい状態」に落ち着く。
この「権利」は、法律の言葉では所有権や、迷惑を出してよい・出させない権利のことです。経済学ではまとめて財産権(property rights、誰が何を使い、どう扱ってよいかを定める権利)と呼びます。財産権がはっきりしていることが、話し合いの出発点になります。
不動産の場面は、この定理の見本市のような世界です。となりのビルが日当たりをさえぎる、上の階の音が下に響く、駐車場の出入りが店の前をふさぐ。どれも「一方の行いが、となりの価値を変える」問題です。こうしたとき、権利をはっきりさせ、当人どうしが話し合えれば、役所が一件ずつ裁かなくても、望ましい落としどころに近づける、という見通しを与えてくれます。
なお、一方の行いがとなりに与えるこうした影響を、経済学では外部性(externality、市場の外側に及ぶ影響)と呼びます。コースの定理は、この外部性への一つの向き合い方を示したもの、と位置づけられます。
前提が崩れるとき:取引費用という壁
ここまでの話には、大きな但し書きがありました。「費用をかけずに話し合える」という前提です。現実には、この前提はしばしば崩れます。
話し合いそのものにかかる手間や費用を、経済学では取引費用(transaction cost、取り決めを結ぶためにかかる手間や費用)と呼びます。たとえば次のようなものです。
- 相手が誰なのかを探し、連絡を取る手間。
- お互いの言い分をすり合わせ、金額を決めるまでの時間と交渉の労力。
- 約束を文書にし、守られるか見張り、破られたときに対応する費用。
マンションの騒音で、影響を受ける住人が数百人いたらどうでしょう。全員を集めて合意するのは、ほとんど不可能に近い。この手間が大きすぎると、たとえ効率のよい落としどころが理屈の上で存在しても、そこにたどり着けません。
ここが実は、コースの本当に伝えたかった点だ、とよく言われます。取引費用がゼロなら権利の置き場所は効率に影響しない。だが現実には取引費用がかかるからこそ、権利を最初に誰へ与えるか、法や制度をどう設計するかが重要になる、という順序です。定理は「役所は不要」と言っているのではなく、「制度設計が効率を左右する」ことを浮かび上がらせる道具なのです。
※ この説明が成り立つ前提
ここまでの説明は、話を分かりやすくするために次のような単純化をしています。細かい条件なので、はじめのうちは読み飛ばしても構いません。
- コースの定理が成り立つのは、①誰の権利かがはっきりしている ②話し合いの手間や費用がほとんどかからない ③当事者が少なく情報が十分にある、という場合です。
- 多数の被害者がいる公害などでは、話し合い自体が難しく、成り立ちにくくなります。
- 「政府は要らない」という主張ではなく、権利の決め方と交渉のしやすさが大事だと示す定理です。
○×で確認
ここまでの内容を、○×で確かめます。5問すべてに答えてから、次の解説へ進んでください。
問1 コースの定理とは、費用をかけずに自由に話し合えて権利がはっきり決まっているなら、権利がどちらにあっても効率のよい状態に落ち着く、という考え方である。
問2 コースの定理によれば、権利を誰に与えても、お金の取り分まで含めてまったく同じ結果になる。
問3 パン屋にとって薪ストーブの価値が月5万円、二階の住人の迷惑が月2万円なら、煙を出し続けたほうが二人あわせた得は大きい。
問4 コースの定理は、政府の出番はいらないという主張である。
問5 「効率がよい」とは、迷惑を受けている弱い側が我慢するのが正しい、という意味である。
○×の解説
問1 コースの定理とは、費用をかけずに自由に話し合えて権利がはっきり決まっているなら、権利がどちらにあっても効率のよい状態に落ち着く、という考え方である。
答え:○
これがコースの定理の中身です。当事者どうしの話し合いが自由にできることと、財産権がはっきりしていることが出発点になります。
問2 コースの定理によれば、権利を誰に与えても、お金の取り分まで含めてまったく同じ結果になる。
答え:×
同じになるのは「資源の使われ方の効率」だけです。誰がお金を払い誰が受け取るかという取り分は、権利の置き場所で大きく変わります。
問3 パン屋にとって薪ストーブの価値が月5万円、二階の住人の迷惑が月2万円なら、煙を出し続けたほうが二人あわせた得は大きい。
答え:○
5万円のプラスと2万円のマイナスを足すと、差し引き3万円のプラスになります。経済学でいう「効率がよい」とは、関係する人ぜんぶを足し合わせて得がいちばん大きい状態のことです。
問4 コースの定理は、政府の出番はいらないという主張である。
答え:×
むしろ逆です。取引費用が大きい現実では、権利をはっきり定め、話し合いの費用を下げる制度こそが効果を生みます。定理は制度不要論ではありません。
問5 「効率がよい」とは、迷惑を受けている弱い側が我慢するのが正しい、という意味である。
答え:×
効率は合計の大きさの話であって、公平さの話ではありません。両者は別の物差しで、効率のよい結末でも、埋め合わせのお金を通じて迷惑を受ける側が報われる形にできます。
次に読む:S2-39「公共財はなぜ縦に足すか」
この記事に誤りや分かりにくい点があれば、お問い合わせフォームからお知らせください。どの記事についてのご連絡かは、フォームに自動で入力されます。

