Q.一時的な減税は、なぜ景気対策として効きにくいと言われるのですか。
A.人は「今回だけ」の収入増では、消費をあまり増やさないからです。恒常所得仮説やライフサイクル仮説では、人は一度きりのお金を生涯の長い期間に薄く割りふって考えます。だから一時的な減税でも、その多くは貯蓄に回りやすく、消費はわずかしか伸びない、と説明されます。
まず、どこでつまずくのか
消費についての説明を読むと、最初はこう思うかもしれません。「収入が増えれば、その分だけ使うお金も増えるはずだ」と。とても素直な考え方です。実際、そう感じる場面も多くあります。
ところが経済学の教科書には、少し不思議なことが書いてあります。「一時的に収入が増えても、消費はあまり変わらない」というのです。ここが、つまずきやすいところです。収入が増えたのに使わない、とはどういうことでしょうか。
つまずきの原因は、二つの「収入」を区別していないことにあります。一つは、これからもずっと続きそうな収入です。もう一つは、今回だけの、一度きりの収入です。この二つを人は無意識に見分けている、というのがこの回のテーマです。
ここでは、その見分け方をていねいにほどいていきます。むずかしい言葉は、イメージができてから最後に紹介します。まずは日常の場面から始めましょう。
身近な例で考える
二人の会社員を思いうかべてみます。名前を仮に、Aさん、Bさんとします。二人とも、この春から毎月の給料が3万円ずつ増えました。昇進によるもので、来年も再来年も続く見込みです。
Aさんは、このお金でどう暮らすか考えます。毎月3万円ずっと増えるのですから、少し広い部屋に引っ越したり、外食を一回増やしたりします。生活の水準そのものを、無理のない範囲で上げていきます。これは自然なことです。
一方、別の場面を考えます。ある年、会社の業績がとても良く、Bさんに一度だけ特別ボーナスとして36万円が支給されました。これは「今回かぎり」で、来年はありません。さて、Bさんはどうするでしょうか。
Bさんは、いきなり毎月の家賃を上げたりはしません。来年からは元の収入に戻るからです。家賃を上げてしまうと、あとで苦しくなります。多くの人は、この36万円をいったん貯金します。そして少しずつ、たとえば数年かけて旅行や買いかえに使っていきます。
ここが大事な点です。Aさんの3万円もBさんの36万円も、一年で見れば同じくらいの金額です。それでも、使い方はまるで違います。「ずっと続く収入」か「今回だけの収入」かで、人のふるまいが変わるのです。
なぜ人は「平らに使う」のか
もう一歩ふみこみます。なぜBさんは、もらった36万円を一度に使いきらず、何年にも分けて使うのでしょうか。
ここには、多くの人がもっている感覚がかくれています。それは「暮らしのレベルは、なるべく安定していてほしい」という感覚です。今月だけ豪華で、来月は質素、というのは落ち着きません。多くの人は、毎月そこそこ同じくらいの暮らしを好みます。
食事にたとえると分かりやすいです。おなかがペコペコの日にごちそうを山ほど食べ、次の日は何も食べない。この食べ方より、毎日ほどほどに食べるほうが満足度は高いはずです。消費も似ています。使うお金が年ごとにガタガタするより、平らにならしたほうが、暮らしの心地よさは大きくなります。
だから人は、一度に入ってきた大きなお金を、生涯という長い時間に「ならして」使おうとします。臨時の36万円を、たとえば十年で割れば、一年あたりは数万円です。増える暮らしの水準は、ほんの少しになります。これが「臨時収入では消費が大きく変わらない」の正体です。
経済学ではこう使う
ここまでのイメージができたところで、専門用語を紹介します。急に難しくなったように見えますが、中身はこれまで話してきたことと同じです。
まず恒常所得仮説(permanent income hypothesis)です。読み下すと「人は、これからもずっと続きそうな収入をもとに、使うお金を決める」という考え方です。ここでいう「ずっと続きそうな収入」を恒常所得(permanent income)と呼びます。Aさんの毎月3万円は、この恒常所得が増えた例です。
これに対して、今回かぎりの収入を一時所得(transitory income)と呼びます。Bさんの特別ボーナス36万円がこれにあたります。恒常所得仮説では、一時所得が増えても消費はほとんど変わらない、と考えます。増えた分の多くは貯蓄に回るからです。
次にライフサイクル仮説(life-cycle hypothesis)です。読み下すと「人は一生涯(ライフサイクル)を見わたして、消費をなるべく平らにならそうとする」という考え方です。恒常所得仮説とよく似ていますが、こちらは特に「若いとき・働きざかり・老後」という人生の段階に注目します。
たとえば、若いときは収入が少なく、働きざかりで多くなり、引退後はまた少なくなります。それでも暮らしの水準を平らに保つため、人は働きざかりのうちに貯金し、その貯金を老後にくずして使います。収入は山なりでも、消費はなるべく平らにする、というわけです。
この二つの仮説から、政策についての大事な結論が出てきます。それが一時的な減税は効きにくいという話です。政府が景気を良くしようと「今年だけ税金を安くします」としても、人はそれを一時所得と受け取ります。すると消費はあまり増えず、多くは貯蓄に回ります。ねらいどおりに消費が伸びにくいのです。
この回のまとめ
最後に、大事なところを短くふりかえります。
- 人は収入を、ずっと続く収入と今回だけの収入に、無意識に見分けています。
- 暮らしの水準はガタガタさせず、なるべく平らにならして使おうとします。
- だから一度きりの臨時収入では、消費は大きく変わりません。多くは貯蓄に回ります。
- この発想を「これからも続く収入をもとに消費を決める」とまとめたのが恒常所得仮説、「一生涯を見わたして消費を平らにする」とまとめたのがライフサイクル仮説です。
- ここから、一時的な減税は効きにくいという結論が導かれます。
収入が増えても、すぐには使わない。一見ふしぎなこのふるまいも、「長い目で平らに暮らしたい」という素朴な気持ちから説明できます。次に景気対策のニュースを目にしたとき、その減税が「一時的」か「ずっと続く」かに注目すると、効き方の見当がつくはずです。
※ この説明が成り立つ前提
ここまでの説明は、話を分かりやすくするために次のような単純化をしています。細かい条件なので、はじめのうちは読み飛ばしても構いません。
- ここでの説明は、将来の収入をある程度見通せて、必要なら借入れもできる人を想定しています。
- 手元のお金に余裕がない人は、一時的な収入でもすぐ消費に回すことがあります(借入制約)。「臨時収入では消費が増えない」は言い過ぎになります。
- 恒常所得仮説(恒常・一時の区別)とライフサイクル仮説(生涯を通じたならし)は、発想を共有する別々の理論です。
○×で確認
ここまでの内容を、○×で確かめます。5問すべてに答えてから、次の解説へ進んでください。
問1 恒常所得仮説とは、人はこれからもずっと続きそうな収入をもとにして、使うお金を決めるという考え方である。
問2 恒常所得仮説によれば、臨時収入が入っても消費はまったく増えない。
問3 一時的な減税は、増えたお金の多くが貯蓄に回りやすいため、消費を伸ばす効果が小さいと説明される。
問4 一時的な減税は効きにくいのだから、効果はゼロだと考えてよい。
問5 恒常所得仮説とライフサイクル仮説は、まったく別の発想に立つ考え方である。
○×の解説
問1 恒常所得仮説とは、人はこれからもずっと続きそうな収入をもとにして、使うお金を決めるという考え方である。
答え:○
そのとおりです。ずっと続きそうな収入を恒常所得、今回かぎりの収入を一時所得と呼びます。毎月3万円の昇給は恒常所得が増えた例です。
問2 恒常所得仮説によれば、臨時収入が入っても消費はまったく増えない。
答え:×
これは言いすぎです。仮説が言うのは「あまり増やさない」であって「まったく増やさない」ではありません。36万円を十年でならせば、毎年の消費も少しは増えます。
問3 一時的な減税は、増えたお金の多くが貯蓄に回りやすいため、消費を伸ばす効果が小さいと説明される。
答え:○
そのとおりです。人はそれを一時所得と受け取り、生涯の長い期間に薄く割りふって考えるからです。だから景気対策としては効きにくいと言われます。
問4 一時的な減税は効きにくいのだから、効果はゼロだと考えてよい。
答え:×
仮説はあくまで「効きにくい」と述べているだけです。現実には、お金に余裕のない人ほどもらったらすぐ使う傾向もあります。効果が小さいこととゼロであることは違います。
問5 恒常所得仮説とライフサイクル仮説は、まったく別の発想に立つ考え方である。
答え:×
二つは兄弟のような関係です。どちらも「人は長い目で見て消費を平らにする」という同じ発想に立ち、強調する点が少し違うだけです。
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