Q.貨幣量を増やせば、国全体の生産量も増えて豊かになるのですか。
A.古典派の考え方では、長い目で見ると増えません。お金の量を増やしても、上がるのは物価だけで、実際に作られるモノやサービスの量は変わらない、と考えます。これを「貨幣の中立性」と呼びます。値段の世界(名目)と、モノの世界(実物)を切り離して考えるのがポイントです。
まず、どこでつまずくのか
お金の話は、身近なようでいて、実は混乱しやすい分野です。多くの人が最初にひっかかるのは、こんな感覚だと思います。
「お金がたくさんあれば、それだけ豊かになれるはずだ」
個人で考えると、これは正しく感じられます。手元のお金が増えれば、買えるものが増えるからです。
ところが、これを「国全体」に広げると、話が変わります。国じゅうのお金の量を一斉に2倍にしても、国全体が2倍豊かになるわけではない、というのが今回のテーマです。
ここが直感に反するので、最初のつまずきどころになります。この記事では、その「なぜ」をゆっくり追いかけます。
身近な例で考える
まず、あるボードゲームを思い浮かべてみます。プレイヤー全員が、同じ量のおもちゃのお金を持って始めるゲームです。
ゲームの中では、土地や建物を売り買いします。持っているお金で、それらを取引します。
ここで、ゲームの途中に不思議なことが起きたとします。プレイヤー全員のお金が、いっせいに2倍に増えたとします。全員です。一部の人だけではありません。
さて、このゲームは「豊かに」なったのでしょうか。
盤上にある土地や建物の数は、まったく変わっていません。増えたのはお金の枚数だけです。
すると、どうなるでしょうか。みんなの財布が2倍になったので、同じ土地に対して、これまでの2倍の値段を出せるようになります。
結果として、土地の値段が2倍に上がるだけです。だれかが手に入れられる土地の数は、増えも減りもしません。
お金の枚数は2倍になった。でも、モノの量も、買える量も変わらない。上がったのは値段だけ。これが今回の話の核心です。
「名目」と「実物」を分けるという発想
いまのゲームの例には、大事な区別が隠れています。それは 「値段で測った世界」 と 「モノの量で測った世界」 の違いです。
経済学では、この二つに名前がついています。
- 名目(めいもく、nominal):お金の金額で測ったもの。たとえば「給料は月30万円」といった、円で表した数字です。
- 実物(じつぶつ、real):実際のモノやサービスの量で測ったもの。たとえば「その給料で何個のパンが買えるか」という、中身の豊かさです。
先ほどのゲームで、お金が2倍になったとき、増えたのは「名目」の数字だけでした。財布の中の枚数、つまり金額です。
一方で「実物」、つまり盤上の土地や建物の量は、まったく変わっていませんでした。
ここで一つ、便利な考え方を紹介します。「実質(じっしつ、real)」 という測り方です。これは、値段の変化をいったん取り除いて、モノの量として見直したものです。
たとえば給料が2倍になっても、あらゆる物の値段も2倍になっていたら、買える量は同じです。このとき「名目の給料は2倍、実質の給料は変わらない」と表現します。
名目と実物(実質)を分けて考える。この習慣が、今回のテーマを理解する土台になります。
経済学ではこう使う:貨幣の中立性
ここまでの話を、経済学の言葉でまとめ直します。
お金の量、つまり世の中に出回っているお金の総量を 「貨幣量(かへいりょう、money supply)」 と呼びます。ゲームでいう、全員の財布の合計です。
そして、先ほど確かめたことは、次のようにまとめられます。
貨幣量を増やしても、上がるのは物価だけで、実際に作られるモノやサービスの量は変わらない。
この考え方を 「貨幣の中立性(かへいのちゅうりつせい、neutrality of money)」 と呼びます。
「中立」という言葉が使われているのは、お金の量の変化が、実物の世界に対して「効き目を持たない」からです。値段を押し上げるだけで、モノの量には口出ししない、というイメージです。
もう少していねいに言うと、こうなります。貨幣量が2倍になると、物価も2倍になります。その結果、金額(名目)はすべて2倍にふくらみます。でも、実際に買える量(実質)は元のままです。
お金は、モノとモノを交換するときの「ものさし」や「引換券」のような役割を持ちます。引換券の枚数を刷って増やしても、交換できるモノそのものは増えません。ここが直感的なイメージです。
古典派の二分法とは
この「名目と実物を切り離す」という発想を、はっきりと形にしたのが 「古典派(こてんは、classical school)」 と呼ばれる、昔からの経済学の立場です。
古典派は、経済を大きく二つの部屋に分けて考えます。この分け方を 「古典派の二分法(こてんはのにぶんほう、classical dichotomy)」 と呼びます。「二分法」とは、二つに分けて考える方法、という意味です。
- 実物の部屋:どれだけのモノが作られるか、人々が何個買えるか、といった「モノの量」を決める部屋です。ここは、働く人の数や、機械の量、技術の進み具合などで決まります。
- 名目の部屋:物価がどのくらいの高さになるか、という「値段の水準」を決める部屋です。ここは、貨幣量によって決まります。
古典派の主張は、はっきりしています。この二つの部屋は、たがいに影響し合わない、というものです。
お金の量は、名目の部屋(物価)を動かすだけです。実物の部屋(モノの量)には入ってこられません。だから、実物の豊かさは、お金の量とは別のところで決まる、と考えます。
この「二つの部屋は別々」という見方が、二分法という名前の理由です。そして、その裏づけになっているのが、先ほどの貨幣の中立性です。
「長期では」というただし書きがカギ
ここで、とても大事な条件をおさえておきます。貨幣の中立性は、あくまで 「長期(ちょうき)」、つまり長い目で見たときの話です。
短い期間、つまり 「短期(たんき)」 では、話が変わることがあります。
なぜでしょうか。現実の世界では、値段はすぐには変わりきらないからです。
身近な例で考えます。喫茶店のメニュー表の値段は、毎日は書き換えません。世の中のお金が急に増えても、しばらくは古い値段のままです。
すると短期には、値段がまだ上がりきらないうちに、お客が増えて注文が増える、といったことが起こり得ます。つまり短期では、お金の量の変化が、実物の側にも一時的に影響することがあります。
しかし、時間がたてば、店はメニューの値段を書き換えます。世の中の値段が全体としてじわじわ調整されていきます。
調整が終わったあと、つまり長期には、結局のところ「上がったのは物価だけ」に落ち着きます。ここで貨幣の中立性が成り立つ、というわけです。
まとめると、古典派の二分法は「長期の姿」を説明する考え方です。短期の細かい動きは、また別の理論であつかいます。この区別を頭の片隅に置いておくと、混乱しにくくなります。
※ この説明が成り立つ前提
ここまでの説明は、話を分かりやすくするために次のような単純化をしています。細かい条件なので、はじめのうちは読み飛ばしても構いません。
- 「お金が2倍なら物価も2倍」がきれいに成り立つのは、生産量やお金の回る速さが変わらないという強い仮定を置いた場合です。
- これは主に長期の話です。短期には価格や賃金がすぐには動かないため、生産や雇用にも影響が出ます。
○×で確認
ここまでの内容を、○×で確かめます。5問すべてに答えてから、次の解説へ進んでください。
問1 貨幣の中立性とは、貨幣量を増やしても上がるのは物価だけで、実際に作られるモノやサービスの量は変わらない、という考え方である。
問2 貨幣の中立性は、お金そのものが役に立たない無意味なものだ、という主張である。
問3 貨幣の中立性は、短期でも長期でも同じように成り立つ。
問4 給料(名目)が2倍になれば、買える量(実質)も必ず2倍になる。
問5 古典派の二分法では、モノの量を決める実物の部屋と、物価の高さを決める名目の部屋は、たがいに影響し合わないと考える。
○×の解説
問1 貨幣の中立性とは、貨幣量を増やしても上がるのは物価だけで、実際に作られるモノやサービスの量は変わらない、という考え方である。
答え:○
ボードゲームで全員のお金が2倍になっても、盤上の土地の数は変わらず値段が2倍になるだけ、というのと同じ話です。お金の量の変化が実物の世界に効き目を持たないので「中立」と呼びます。
問2 貨幣の中立性は、お金そのものが役に立たない無意味なものだ、という主張である。
答え:×
お金はモノとモノの交換をなめらかにする、とても便利な道具です。中立性が言っているのは「量を増やしても実物は増えない」という一点だけです。
問3 貨幣の中立性は、短期でも長期でも同じように成り立つ。
答え:×
当てはまるのは、値段が十分に調整されたあとの長期の話です。短期には価格や賃金がすぐには動かないため、お金の量の変化が生産や雇用に影響することがあります。
問4 給料(名目)が2倍になれば、買える量(実質)も必ず2倍になる。
答え:×
あらゆる物の値段も2倍になっていれば、買える量は元のままです。金額の数字が大きくなることと豊かさが増えることは別のことです。
問5 古典派の二分法では、モノの量を決める実物の部屋と、物価の高さを決める名目の部屋は、たがいに影響し合わないと考える。
答え:○
実物の部屋は働く人の数や機械の量、技術で決まり、名目の部屋は貨幣量で決まります。この二つの部屋は別々という見方が、二分法という名前の理由です。
次に読む:S3-19「名目賃金の硬直性」
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