Q.家賃の上限規制をすれば、借り手はみんな得をするのですか。
A.いいえ、得をするとは限りません。上限規制で家賃は下がります。しかし部屋が足りなくなり、借りたくても借りられない人が出ます。うまく借りられた人は得をします。借りられなかった人は損をします。貸す側も収入が減ります。ここで大事なのは、借りられた人の得の多くは、貸す側から借り手へ移っただけだという点です。それとは別に、成立するはずだった取引そのものが消えます。この消えた分を「死荷重(deadweight loss)」と呼び、社会全体の余剰はその分だけ小さくなります。
まず、どこでつまずくのか
「家賃が高すぎる。だから上限を決めればよい」。この考えはとても自然です。多くの人が最初にこう思います。
つまずくのは、その次の一歩です。家賃を下げれば、借り手はみんな助かると考えてしまう点です。
ここで見落とされることがあります。値段は「払う額」であると同時に、「どれだけ供給されるかを決める信号」でもあります。
家賃を人為的に下げると、借りたい人は増えます。一方で、貸したい人は減ります。この二つが同時に起きます。
その結果、部屋そのものが足りなくなります。値段だけを見ていると、この「数量が減る」という変化に気づけません。ここが最初の関門です。
身近な例で考える
人気アイドルのコンサートを思い浮かべてみます。座席は決まった数しかありません。
もしチケット代を「良心的に」とても安く決めたら、どうなるでしょうか。買いたい人が殺到します。
座席の数は増えません。だから、多くの人が買えずに終わります。安くしたことで、かえって手に入りにくくなります。
スーパーの特売も似ています。目玉商品を格安にすると、開店前から行列ができます。早く並べた人だけが買えます。
安い値段そのものは、うれしいものです。しかし「安いこと」と「手に入ること」は、別の話です。
家賃の上限規制にも、同じ構図があります。値段は下がる。けれど、借りられる部屋は減る。この二つがセットで起きます。
家賃に上限をかけると何が起きるか
ここで用語を一つ用意します。政府が「これ以上は取ってはいけない」と家賃の上限を決めることを、上限価格規制(price ceiling、プライス・シーリング)と呼びます。
効き目があるのは、上限を「今の家賃より低く」設定したときです。上限が今の家賃より高ければ、何も変わりません。
上限を低くすると、二つの動きが同時に起きます。順番に見ていきます。
- 借り手が増える:家賃が安くなるので、借りたい人が増えます。一人暮らしを始めたい人なども加わります。
- 貸し手が減る:家賃が安いと、貸す側の実入りが減ります。すると、賃貸に出すのをやめる大家が出ます。新しい賃貸住宅を建てる人も減ります。
借りたい量が、貸せる量を上回ります。この差が品不足(shortage、ショーテージ)です。表向きの家賃は安くても、空き部屋が見つからない状態になります。
図で見る:消費者余剰・生産者余剰・死荷重
ここで、取引の「お得さ」を面積で測る道具を三つ紹介します。名前はいかめしいですが、中身は素直です。
- 消費者余剰(consumer surplus):借り手が「これくらいなら払ってもよい」と思う額と、実際に払う家賃との差です。借り手にとってのお得の合計です。
- 生産者余剰(producer surplus):貸し手が「これくらいもらえれば貸してよい」と思う額と、実際に受け取る家賃との差です。貸し手にとってのお得の合計です。
- 死荷重(deadweight loss、デッドウェイト・ロス):規制のせいで、誰の得にもならずに消えてしまうお得のことです。取引が減った分だけ生まれます。
規制がないとき、家賃は需要と供給が釣り合う点で決まります。このとき、社会全体のお得(消費者余剰と生産者余剰の合計)は最も大きくなります。
上限規制をかけると、取引される部屋の数が減ります。減った取引の分だけ、本来生まれるはずだったお得が消えます。これが死荷重です。図の上では、細長い三角形の面積として現れます。
誰が得して、誰が損するのか
「借り手が得、貸し手が損」と一括りにはできません。もう少していねいに分けて考えます。
- 運よく借りられた人:得をします。安い家賃で部屋を確保できたからです。貸し手のお得の一部が、この人たちに移ります。
- 借りたくても借りられなかった人:損をします。家賃は安くなったのに、肝心の部屋が見つかりません。安さの恩恵を受けられません。
- 貸し手:多くは損をします。受け取る家賃が減り、貸す量も減るからです。
つまり、借り手の中で「得をする人」と「損をする人」に分かれます。得は、うまく部屋を確保できた一部の人に集中します。
さらに、規制の副作用も現れがちです。部屋が足りないので、貸し手は選ぶ側になります。修繕をしなくても借り手がつくため、建物の質が下がることもあります。
社会全体で見れば、死荷重の分だけお得が消えています。誰かの得より、失われた総量のほうが問題になります。
経済学ではこう使う(鑑定・不動産との接続)
不動産鑑定士の試験で、なぜこの話を学ぶのでしょうか。鑑定評価は「適正な価格・家賃はいくらか」を見きわめる仕事だからです。
ここで記号を使います。家賃をR、地価をPと書きます。二つは深く結びついています。
地価Pは、その土地が生む家賃Rの積み重ねを、今の価値に直したものと考えられます。おおまかには、次のように整理できます。
- P ≒ R ÷ i:地価は、家賃を割引率iで割った大きさに近づきます。読み下すと「地価は、毎年の家賃を割引率で割ったもの」です。
- ここで割引率iは、安全利子率rf に、値下がりや空室などの不確かさに備える上乗せ分(リスクプレミアム、risk premium、記号ρ)を足したものです。家賃の伸び(期待成長率g)が見込めれば、その分だけ地価は上がりやすくなります。
上限規制は、このRを人為的に押し下げます。Rが下がれば、計算上のPも下がりやすくなります。家賃規制のある地域とない地域で、地価に差が出る理由の一つがここにあります。
さらに大切な点があります。規制下の「見かけの家賃」は、市場が自由なら成り立つはずの家賃とはずれます。鑑定では、この規制の影響をどう扱うかを見きわめる必要があります。安い家賃をそのまま使うと、評価を誤ることがあります。
需要・供給・余剰の図は、こうした判断の土台です。値段が動くと、量と質と誰の得かが同時に動く。この感覚が、家賃や地価を読むときの背骨になります。
※ この説明が成り立つ前提
ここまでの説明は、話を分かりやすくするために次のような単純化をしています。細かい条件なので、はじめのうちは読み飛ばしても構いません。
- 上限規制が効くのは、規制がないときの家賃より低く設定された場合です。
- 短い期間では住宅の数がすぐには減らないため、供給の落ち込みは緩やかなこともあります。
- 三角形の死荷重は、部屋が「本当に必要な人から順に」行き渡ると想定した場合の姿です。
○×で確認
ここまでの内容を、○×で確かめます。5問すべてに答えてから、次の解説へ進んでください。
問1 死荷重とは、規制のせいで誰の得にもならずに消えてしまうお得のことである。
問2 家賃に上限をかければ、借り手はみんな得をする。
問3 家賃の上限規制が効き目をもつのは、上限が規制のないときの家賃より低く設定された場合である。
問4 家賃の上限を決めても、貸し手の行動は変わらないので、供給される部屋の数は変わらない。
問5 死荷重は、貸し手から借り手へ移ったお得のことである。
○×の解説
問1 死荷重とは、規制のせいで誰の得にもならずに消えてしまうお得のことである。
答え:○
取引される部屋の数が減った分だけ、本来生まれるはずだったお得が消えます。図の上では、細長い三角形の面積として現れます。
問2 家賃に上限をかければ、借り手はみんな得をする。
答え:×
借り手は「得をする人」と「損をする人」に分かれます。運よく借りられた人は得をしますが、借りたくても借りられなかった人は損をします。
問3 家賃の上限規制が効き目をもつのは、上限が規制のないときの家賃より低く設定された場合である。
答え:○
上限が今の家賃より高ければ、取引は何も変わりません。低く設定して初めて、借りたい人が増え、貸したい人が減る、という二つの動きが起きます。
問4 家賃の上限を決めても、貸し手の行動は変わらないので、供給される部屋の数は変わらない。
答え:×
貸し手は必ず反応します。実入りが減るため、賃貸に出すのをやめたり新築を控えたりして、供給は減る方向に動きます。
問5 死荷重は、貸し手から借り手へ移ったお得のことである。
答え:×
貸し手から借り手へ移る分は死荷重ではありません。死荷重は誰の手にも渡らずに消えたお得で、移転ではなく純粋な損失です。
次に読む:S4-06「現金補助と現物補助」
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